S.E.A.通信
昔の藤沢本町での思い出を、
今回は書いて見たいと思います。
私は5歳のころから藤沢本町に住んでいます。
(学生時代は藤沢を離れて生活おりましたが・・・)
私の小・中学生のころから比べると、
藤沢はすっかり変わりました。
小学生の夏休みの宿題に、
家と学校の周りの野原・田畑で昆虫採集をしたのを覚えております。
驚くほど多種の昆虫が採取できたものです。
中学の理科の授業では、
学校の周りの田んぼで、カエルを捕まえてきて
それを解剖する授業があったものです。
まだ、藤沢バイパスはなく、
現在の荏原製作所周辺には小さな飛行場がありました。
滑走路が1本伸びており、周りにコンクリート製の戦闘機を隠すための小さな草木に覆われた格納庫が点在しておりました。
大きく山を削り、藤沢バイパスの工事が始まったのは、
私が小学校3~4年生のころからでしょうか。
あっという間に、山が削られ、道路が出来上がったのに、
驚いたことを覚えております。
その頃、飛行場も売却され、工場と住宅の建設が始まりました。
田畑が広がっていた藤沢本町から善行に至る地域は、
すっかり住宅地に生まれ変わりました。
当時、カメラはまだ高価で、写真は残っておりませんが、
野原や田畑で遊びまわった記憶は、鮮明に残っております。
まだ、農村地域だったと言っていいと思います。
マンションまでも立ち始めた、今のこの地域からは
想像だにできない風情の田舎だったのです。
伊勢山公園が当時の名残を少し残しているだけとなりました。
写真:現在の伊勢山公園