S.E.A.通信
今日は2年ぶりに大磯町の「国府祭(こうのまち)」へ行ってきました。
道路の奥に見える緑濃き森が神事(座問答(=席争い))が行われる 「神揃山(かみそろいやま)」
登山道のような階段を登って祭場へ向かいます。
雲一つない絶好のお祭り日和です!
六社が集まり神事が行われる場所は、もともと丘のこじんまりした空地なので、
2年前も急な斜面に貼り付くように腰を下ろして、
寒川神社さんと川匂神社さんとの「席争い」を拝観した記憶があります。
が、今年は天気も日程も良かったからでしょうか、
沢山の人だかりで、腰を下ろすどころか、
残念ながら、ほとんどお祭りの様子を観ることが出来ませんでした。
辛うじて人の頭の上から観ることが出来たのは、
「力石」から投げられる「餅まき(ちまき)」くらいかな?
神事の後、人だかりが無くなってからやっと近付けた「力石」とその「故事」
それでも、新緑香るこの小高い丘を吹き抜ける風は快く、
身も心も洗われたような心地がしたのは何故でしょうか?
お祭りに一緒に行った90歳近い母が、帰ってきてから
「なんか背筋がピンと伸びて歩ける気がする」と言うので、
やはり強力なパワースポットなのかもしれない!?
さて、「国府祭」は現在は5月5日に行われていますが、
母が子供の頃は6月21日の「田植祭り」の時だったそうです。
そして、千年以上続いているということですから、
当然、江戸時代にも毎年「いずれ明年まで・・・」と
座問答をやっていたいたわけで・・・。
その江戸時代のとある時に、
「国府祭」を終えた寒川神社の神輿が寒川へ帰る途中、
梅雨の時期で水嵩が増していた馬入川で、
「浜降り祭」のきっかけとなる「御神輿流失事件」が起きてしまう・・・と、
昨年の「別冊S.E.A.通信」に掲載させて頂いたお話へと続くのです。