湘南営繕協会の歩み|湘南営繕協会 神奈川県藤沢市

湘南営繕協会の歩み

貧しかった少年時代

私は藤沢市の鵠沼に生まれ育ちました。地元の方はご存知でしょうが、鵠沼というところは名だたる政治家や財閥が居を構えていた地域です。その中にぽつんとあった貧乏所帯、それが私の生家です。父の商売は土木建設業でした。働き者の母は、父の仕事を手伝いながら私たち5人兄弟の世話、そして出稼ぎの人たちの賄いと、休む間もなく動いていました。もちろん子供達だって、のんびりしてはいません。私は小学生の時から家業を手伝っていました。高校にあがる頃には集金もして、いっぱしの労働力になっていましたよ。いまの若い人には考えられないでしょうけど(笑)。

高校生の時には「自分は将来、事業家になるんだ!」とすでに決めていたので、授業のない日や、夕方から夜にかけての毎日の家業の手伝いは、苦になりませんでした。大学生になっても、午前中は工事現場でユンボを動かし、その足で大学へすっ飛んで行って午後の授業にぎりぎり間に合ったり、深夜の道路工事に連夜参加し、朝の通学時に居眠りをして電車を乗り過ごして遅刻したり・・・そんな勤労学生の暮らしの中で学んだことは数多くありました。

事業家になる夢に向かって歩んだ日々

大学を出た私は建設会社に就職しました。私の将来の目標は事業家になることでしたから、10年経ったら会社を去ると心に秘め、この10年の間に会社にどれだけ貢献でき、自分の糧となる経験を積むことができるかが勝負だ、との思いで、必死で働きました。目標があるってすごいことですね。10年後、私は当初の計画通り、会社を辞めて自分で会社を興すことになったのです。

はなむけに、勤めていた会社の先輩がアドバイスをくださいました。それは、その後の湘南営繕協会の進む道を決定づけた、大きな大きなアドバイスでした。先輩はこう言ったのです。 "最上君、君はいきなり湘南建設会社なんて創っちゃいけないよ。それよりも営繕を主体とした会社を創りなさい。営繕なんて、そんな小さい、細かいこと、と君は思うかもしれない。しかし、そこを大切にすることが、クレーム産業と言われる建設業界にメスを入れることになるんだよ。"私はハッとしました。ちょうどその頃、新聞で見たアンケートで、「前回依頼した建設会社には頼まない」と答えた人が70%にもなることを知っていたので、先輩の言葉はなおさら心に響きました。そして私は有難くその忠告を受けることにし、新しい会社を『湘南営繕協会』と名づけました。

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